自己愛と自己信頼の先に自己実現あり①

ADHD

自己愛と自己信頼、真の意味でそれらを得た時

人はどんな理想も現実化することができる

今回はマルセイ自身の生い立ちに触れながら解説していく。

世界への果てしない好奇心

5、6歳だろうか。

まだ幼かった私はこの世界の仕組み

どうして存在しているのかについて深く興味を持っていた。

目に映るもの全てに好奇心を抱き

空に浮かぶ月すらも、どうして夜になるとそこに現れるのかと

疑問に思ったものだ。

世界の仕組みと疑念を抱き始めた幼少期

小学校に上がるくらいの年頃だったか。

日々食卓に上がる食べ物が一体どこからやってくるのか

どこの誰が運んでくるのか

そんな疑問をいつの日からか抱いていた。

そして好奇心の先には

当然のように事実を知る運命があるわけで

それは当時まだ小学校に上がりたての少女が受けとめるには

あまりにも大きすぎる衝撃だった。

私だけが違う世界の住人のような孤独

幼心に、

それを理不尽や不平等な事なのだと認識した。

そしてそれがどうしてそのまま存在しているのか分からなかった。

同級生はもちろん、周りの大人たちも、

皆、当然のことのように「それ」を受け入れ、

当たり前のように生活していた。

私だけが、たった1人

この世界に対して疑念を抱いているように感じた。

無力を自覚していた私が最大限にして唯一できる抵抗

肉を食べない事がせめてもの抵抗だった

私は世界をどうしたら変えられるか分からなかったからだ。

「動物を傷つけたくない」

それを訴えたところで、返ってくる答えなんて分かりきっていたから。

仕方ない事なんだよ

だから感謝して食べるんだよ

とにかく、世間の枠の中に私を収めようとする言葉しか帰ってこなかった。

それでも私は加担したくないと思った。

だから肉を食べなかった。

幼かった私が唯一にして、最大限できる抵抗だったからだ。

恵まれた生物が抱えた無力感と罪悪感

世界を理解できない私が、

理解されない苦しみと共に歩んできたおよそ20年弱。

私はいつも疲れていた。

心のどこかで、この世界は私の居場所ではないと感じていたし、

どうしても変わらないのならこの世界に救いなんてないと思った

人間である自分が、同種の行いを止めることはできず、

自分の見えない場所で他の生物が苦しむことを止めることもできない

それなら私が生きる意味はなんなのだろう

私は自分の無力感や人間として生まれて、

そして今日という日まで生きてきたことに

いつも、どこか罪悪感を感じていた。

人間としての生活はとても恵まれていたと思う。

生命活動を当たり前のように行う事ができる。

ただそれだけで自分がどれほど恵まれた生物なのだろうと

考えずにはいられなかった。

一方、いつこの命が終わろうとも私は後悔しないなんて思ってもいた。

自分の命やこの世界に対する執着

あまりにも薄かったように思う。

生きることを選んだ

「いつこの世を去ろうと構わない」

そう思っていた。

しかし、私が最大限自分を褒めたい事がある。

それは頂いたこの命を、自ら放棄するような

無責任な真似だけは絶対したくないと思っていたことだ。

だから今も生きている

どんな生物も必ずいつかこの世を去る。

ただそれがいつなのかは誰にも分からない。

そして私も同じだ。

それならば、私がこの世界にいるうちは

私は行けるところまで行ってやろう

そう思えたんだ。

どんなに茨の道だろうと進んでやる

どうなろうとかまわない。

この命を最大限に有効活用して、

1つでも多くの命を幸せにしたい。

少しでもこの世界を変えよう

そう決心したんだ。

あらゆる面でのマイノリティ

私は人間として生きていくことはとても辛かったし、苦しかった。

アニマルウェルフェアへの信念や価値観だけではなく、

ADHD・ASDの特性上、

周りの人と同じように行動することができなかったからだ。

いつも最下位から数えられ、評価され、ラベルを貼られる

あなたはこういう人です」と。

それが苦しくて仕方なかった

そしてそのラベルを貼るのは周りの大人たちや周囲の人々

私は理解できない脳だったし、

彼らも私を理解することはできなかった。

お互いに理解し合えないまま

ただ力を持つ者が、力無い者に対して一方的にラベリングをする。

そして私は後者の人間だった。

だから苦しかった。

そんな場所にいることを望んでいないのに

その場所の住人にラベルを貼られたり、

枠組通りに生きることを求められることが

だからその枠組みの外側で生きることにした。

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