前回はうちの農場での獣魂祭について執筆した。
そしてその後にBBQが恒例行事となっている。
うちの農場で生産された豚肉を使用して焼肉をはじめ
諸々焼いていく。
だが、私はその場から「逃走すること」を選んだ。
厳密には逃走ではなく、
自分の価値観に従って最善の選択肢を選んだのだが。
ギリギリまで残ったが…
獣魂祭終了とともに、
皆が裏庭に集まり始める。
そそくさと帰るのもなんだか申し訳なく、
BBQの準備には参加した。
ある程度準備が整い、
いよいよ皆が肉を焼き始める。
私は、その場にいることができなかった。
皆が笑顔で楽しそうにしている中
私だけがその場の空気に馴染めず、
その場の「楽しい」はずの空気を吸えなかった。
晴天下の閉塞感
もちろん屋外でBBQをしていた。
あんなに広々とした場所にいるのに
まるで狭い箱の中に閉じ込められたような息苦しさ
ものすごく窮屈で、息が詰まるような閉塞感
その「空気」に今にも潰れそうだったんだ。
最初から分かってた。
その日は、1秒でも早く帰ろうと思ってたんだ。
私にはあまりに場違いな場所にいることに対する
強烈な違和感と居心地の悪さを感じることになるって分かってたから。
集団の中での孤独
あの場にはたくさんの人が集まっていた。
毎日一緒にお仕事をする仲間達や、
本社の偉い人たち、
よく挨拶する業者さんたち。
あれだけ沢山の人がいたのに、
wたしはものすごく孤独感を感じたんだ。
私は1人だって、
じわじわと悲しくなって
もう逃げ出したくなったんだ。
私は人が好きだ。
私は、誰も嫌ってないし、憎んでない。
そしてこの人生で出会ってきた人、
そしてこのステージで時間を共有してきた人たちのことも好きだ。
それなのに、
あの場所ではものすごく孤独を感じた。
なぜだろう。
理解されなくても、守りたかった
自分の信念や価値観を守りたい。
ただそれだけだった。
今までも、これからも。
あの閉塞感や孤独感が意味することは
きっと私自身が「人と違う」ということを
その現実を突きつけられるような感覚を
表現していたのかもしれないと振り返った。
場所が場所なだけに
私みたいな人間は「異端」なのだろう。
それでも良いって思っていた。
自分を貫くことの方が大事だって。
今だってそう思ってる。
でも「こういう時」、
私は1人だって思ってしまう。
自分を貫くということが
時に私を孤独や理解されない苦しみに引き摺り込む
それでも私は自分の信念を選びたい
今いる場所が「全て」ではない
これはどんな状況でも言えることだと思うけれど、
どんなに辛い時、
あるいは反対に幸せな時ですら
その状況や日常が「全て」ではないんだ。
私は、自身の菜食主義のスタンスを大切にしている一方で、
実際に現場でリアルを体験したかった。
だからこそ、あえて自分が最も避けてきた場所に飛び込んだ。
だからこそ、周りの人々は私とは異なる価値観を持つ人たちばかりで
故に私の感覚や価値観を理解することが難しい人たちがほとんどだ。
それでも私は知っている。
彼らがこの世界の全てではないということを。
この世界には様々な人たちが、
様々なコミュニティを形成している。
そしてその組織ごとに大切にしている価値観や
共有している感覚というものが存在している。
そして私は、
自分が菜食主義者であることを自覚した上で
あえて正反対の場所に飛び込んだ。
あえて異なる価値観を持つ人々のコミュニティに飛び込んだんだ。
だから理解されないことも、
自分にとって過酷な出来事に直面する機会が多いことも
覚悟の上で挑戦したんだ。
自分の一番の味方は自分自身
私は、こんな時いつも思うんだ。
私は、どんな状況でも最後まで自分自身の味方でいようと。
ただ、今は選んだ環境や状況ゆえに
辛い思いをすることが多いだけ。
そしてどんなに辛い状況に置かれたとしても、
自分には自分で判断して行動する選択肢があると分かっている。
壊れてしまう前に
私は自分を守る判断をすることができる。
私は私自身を一番に愛しているから。
どんなに変わり者と言われたり
馬鹿にされることや、
物珍しがられること
理解されないことへの悲しみに沈んでも
いつだって私は私自身の1番の理解者であり
最後まで愛し抜こうと決めている。
だから、私は自分の足で立っているんだ。
今日という日も。

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