万年1.5歩後ろを歩く。
自分の人生を振り返ると、いつも人よりも1.5歩後ろを歩いて来たと思う。
何をやるにも1.5歩後ろを歩く。
スタートダッシュを早く切ろうと、ゴールに達する頃には何人もの人々に抜かれて、小さくなる背中を見送る。
なんとか辿り着いたゴールには先客がいる。
自分なりに試行錯誤して、自分の出せる一生懸命を出して必死に走る。
それでも決して一等になる事はなかった。
どんなに必死に走っても、1.5歩後ろをいく。
穴の空いたバケツに水を入れる。
目標を叶えるべく行動に移すとき、いつも同じ志を持つ人々がいる。
彼らも自らの目標を叶えるべく、目の前のタスクに取り掛かる。
スタートは同じ。
それなのに、時間と共に彼らとの距離は広がっていく。
こうした状況は何度も経験してきた。
その度に、自分はこんなふうに感じる。
僕らが目標を叶えるということは、目標という名の植物を育てるということ。
植物には水が必要だ。
僕らには、水を運ぶためのバケツが1人1個用意されている。
誰1人として同じ形のバケツを持ってはいない。
そんな中、発達障害というのは目標を叶えるためのバケツに穴の空いた状態なのではないか。
いくら懸命に水を運んでも、植物のある場所にたどり着くことには水は半分か、ひどい時には一滴ほどしか残っていない。
今までを振り返ると、そんなふうに感じる。
それでもやる理由
それでもやる。
たとえ前例がなくても、自分が第一号になってやる。
そんなふうに誰よりも自分を強く信じ抜く。
そうでなければこの世で生きていくことはあまりに酷だと思う。
自分の本当に叶えたいことなら、どれだけのハンデがあっても必ず乗り越える。
ハンデも含めて自分だから、ハンデと共に走る。
自分にできることは、ただひたすらに自分自身を信じ抜くこと。
それが、たとえうまくいかなくてもやり続ける理由。
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