初日から3日目
キュリ・オストリッチは1週間前から普通自動車免許を取るべく、合宿免許中である。
入校初日からハンドルを握り場内を走った。
他の生徒らは3日もすると次々と上達していく中、キュリは一向に上達の兆しが見えない。
自分の不注意の特性を自覚している。
それゆえになかなかスピードを出すことができない。
これでは1限に遅刻しそうな高校生の方がずっと早い。
焦っても、1回目の試験までのハンドルを握ることのできる時間は1日2時間。
Youtubeやネットを見てイメトレ、教官からの指導を入念にメモ。
それでも上手くはならなかった。
試験の2日前、コンビニからホテルまでの帰り道、そもそも発達障害者の自分が自動車免許なんかとって何の意味があるのだろうかと、自身の選択自体を疑い出した。
ダム決壊
自室に戻ると体の力が一気に抜けた。
食欲もないが何か腹に入れねばと、コンビニで買ったツナ缶とキャベツを混ぜて頬張る。
しばらく無心で頬張っていたが、胸の奥からじわじわ何かが込み上げてきた。
上手く言葉にできないけれど、それまでグッと心の奥に仕舞い込んでいた感情が涙となって溢れ出した。
「どうして普通のことができないんだろう…。」
涙が一粒落ちればあとは洪水のように溢れて止まらなくなった。
いい大人がツナサラダを頬張りながら声をあげて泣いている。
これがコメディ映画なら笑いどころなのだろうが、当事者はただひたすら押し込んできた感情を吐き出すことに必死だった。
実らない、実らない、それでもやる。
これまでの人生を振り返ると、同じようなことは何度もあった。
周りの人が「難しくない」ということが自分にとってはとてつもなく難しい。
学校の試験や発表、アルバイト。
「普通」なら簡単に覚えることのできることが、ワーキングメモリの乏しい自分には遥かに高い壁だった。
それでも人一倍自分にできることを懸命にやってきた。
それでも蓋を開ければ、評価されるのは自分ほど時間も労力もかけずに付け焼き刃でやってきた人らだった。
もちろん凄まじい努力をしてトップに立つ人だってたくさんいる事を知っている。
しかしそうではない人も一定数いて、そうした人の下に自分がいるという現実を幾度と見せつけられてきた。
その度に自分の努力の意味はなんなのだろうと思った。
悔しい、情けない、悲しい、そして「どうして」という感情に飲まれそうになる。
それでもやっぱり、やる。
人より遅くても、上手くできなくても、カッコ悪くても、
心だけはカッコ悪くなってたまるか。
そんな風に思って、いつだってなんとか立ち続けた。
続く
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