戦後の日本では食の西洋化が進んだ。
容易に食べ物が手に入ると同時に、生産者と消費者の距離は伸びてきた。
少し堅い言い方をすれば、
現代社会では、生産者と消費者の乖離が進んでいる。
自分が食べる物がどこで、どうやって作られてやってきたのか、普段の生活ではあまり知る機会がなくなったしまった。
知る機会がないのだから、当然そちらに意識が向くことはないと思う。
食の安全性を巡る問題が生じて初めて自分ごとの問題になって危機感を覚えて、そちらに意識が向くのだと思う。
多くの消費者がの意識が生産現場に向きづらいのも無理はないと思う。
想い
私は家畜のアニマルウェルフェアを広げたい。
一頭一羽でも多くの家畜が生きている間に生き物としての幸福を感じられる世界にしたい。
そのためには、私たち消費者が事実を知り、行動を変えることが重要だと思う。
一人でも多くの消費者が小さな行動の変化を起こすことが大事。
消費者の意識を変える
生産現場を変えていくためには、消費者の行動を変えていく必要がある。
一人一人の行動は小さくても、それが10人、100人になれば大きな力になる。
だからこそ、私にできることは生産と消費の橋渡しをすることだと思う。
食べることの意味
自分の命を維持している食べ物がどこで、どのようにして作られているのか意識してみてほしい。
生きていられるのは、その犠牲になった命が必ず存在するから。
食事を摂ることが、当たり前のことになって、生きていられることも当たり前に思ってしまう現代社会。
でも、食べなければ生きられない。
その事実を知ってほしい。
そして自分が生かされていることを知ってほしい。
誰のおかげで自分が今日まで生きてこられたということを知ってほしい。
もしも自分の命がたくさんの命のおかげで維持されていることを本当に知ったら、食べ物を平気で捨てたり、家畜の飼養環境に無頓着ではなくなるはず。
日本では未だアニマルウェルフェアの認知度は低く、家畜の飼養環境も工場畜産的だ。
けれどもそれは、多くの消費者が生産現場の現状を知らないことが一因。
知らないのは関心が向かないことがその理由。
それなら一人でも多くの消費者に生産現場に関心を持ってもらおう。
アニマルウェルフェア伸び代国
日本のアニマルウェルフェアは伸び代だ。
食べる度に、家畜の命に感謝し、その生涯を少しでも幸福なものになるよう配慮することが「当たり前」の社会は必ず実現する。
食べ物は命だ。
その事実を一人でも多くの人に知ってもらうために最良の方法を探し続ける。
コメント