世の中の仕組み
頭のいい人やスポーツのできる人、何かしら秀でている人だけが世の中で必要とされているなんて風に思っていた時期があった。
でも、20年ちょっと生きて来て、色んな人に出会う中で一つの気づきを得ることができた。
人は、生きているだけで何かに貢献している。
その「何か」は自分じゃ気づかないことだったり、他人も気づかないことだったりする。
つまり誰もその時は気づいていないから、まるで自分には何もできることがないなんて感じたりする。
でも実際にはそんなことはない。
人は生きているだけで何かしらに影響を与えている。
その影響が誰かにとっては、大したことなかったり、すごく重大なことだったりする。
あるいは、ある人にとっては良い影響を与える一方で、別の人には悪い影響を与えていたりする。
いいことも悪いことも、同じように巡ってくる。
ピンチの時に誰かの何気ない行動が救ってくれたりする。
でも世界はそうやって回っている。
そんなふうに解釈するようになった。
自分の評価
自分には秀でた何かなんてない。
だから何もできない。
自分なんていてもいなくても世界は変わらないんじゃないか。
そんな風にふと思ってしまうことは誰しも一度はあるんじゃないかと思う。
でも、実際には自分の中にある能力に気づいていないだけだとも思う。
人はこの世に生まれてきて、しかも今この瞬間まで生きて来たというだけで偉業を成していると思う。
誰の影響も受けずに、あるいは誰にも影響を与えずに、人が生きていくということは不可能なこと。
そしてその影響がいいか悪いかは、先述の通り人や時間によって異なる。
だから自分は誰にも何もいい影響を与えられないなんてのは、思い込みに過ぎないと思う。
ただ自分が気づいていないだけ。
ただ周りが気づいていないだけ。
だから自信を持って生きていい。
「過去」と「今」は世界の一角
生きていくということは果てしなくマルチタスクだ。
何が起こるかなんて誰にもわからない。
何が自分に必要になるかなんて誰にもわからない。
備えて来たことがいつ必要になるか、そもそも人生でそれを使う時が来るのかすらなんてわからない。
そんな不確実な世界で生きている。
僕らが世界だと思って生きている「過去」と「今」は世界のほんの一部に過ぎない。
そんな世界の一部を見て、その中で生きて来た自分に何ができるか出来ないかを見てジャッジしている。
自分の役割に気づく
それでは自分は何のために生まれて来たのか。
この世に生まれて来た意味を知ることができればそんなに心強いだろう。
ADHD当事者の1人として、一つ持論を展開したい。
キュリは動作の正確性も速さも健常者に比べて劣る。
それは自他ともに認める。
ティーンの頃の自分は、人よりも劣る自分に情けなさや悔しさを感じていた。
けれど、後にそれは誤りだと気づいた。
自分自身が「劣っている」というレッテルを自分自身に貼っていた。
「勉強ができない」「集団行動が苦手」「情報を上手く処理できない」といった複数の苦手だけを見つめて、まるで生きていく上で必要なことは何もかも出来ないのだ、自分は全てにおいて出来損ないだ、なんて思い込んでいた。
しかし、先述の通り、僕らが生きているのは世界のほんの一角に過ぎない。
ただ今生きている場所で自分の能力が発揮しにくかったというだけ。
自分も周りも気づいていない能力が自分の中に眠っている。
けれど、多くの人はそれに気づかずに、まるで自分には何もないと思い込んで幸せになることを放棄してしまう。
誰だって誰にも奪われることのない自分だけの能力を持って生まれて来ているというのに。
現時点で気づいているか、いないかなんてのは、問題ではない。
大事なのは、自分にも他人にも唯一の能力が備わっているということを信じて、幸せになる事を決して諦めないこと。
自分には何もないから、いい人生なんて送れない。
そんな思い込み一つで自分の人生を投げ出さないでほしい。
必ず自分だけの能力があるのだから。
何を求められているのか
自分はこうありたい。
けれどもそんな理想と現実とのギャップに直面して何もかもどうでも良くなってしまうことがある。
理想の自分にできることが、出来ない今の自分に憤りを感じることがある。
例えば、臨機応変に対応する機敏さ、話をロジカルに伝える力
そんなスマートな人間になりたいと思ってきた。
けれども、いくら努力しても不注意優勢型の脳の特性に抗うには限界がある。
そんなスマートな行動はまるっきしダメだ自分だが、昔から人に肯定される特徴がある。
それは人柄。
昔から人柄だけは褒められた。
特に意識しているわけではないが、いつも明るく安心感を与える存在として周囲から認知されている。
自分じゃ何も特別なこととは思わなかった。
しかし、そんな「自分にとってなんでもないこと」が「なんでもないこと」ではないということに気づくことが重要なのだ。
「なんでもないこと」ではないということ
世界には80億人の人間が存在する。
当然その中には自分と似た人も、全く異なる人も存在する。
では、自分と全く正反対と人から見た自分はどうだろうか。
自分にとって当たり前が、その人にとっては当たり前ではない。
その人が喉から手が出るほど欲していることが、自分には当たり前に出来てしまう。
あなたは、その事実に気づいたらどんな気持ちになるだろうか。
全ては「知らない」だけなのだ。
自分に何もないなんてことは、あり得ないのだ。
周囲を見て落ち込むのは、周囲の範囲がまだ狭いだけなのではないかと思う。
周りと比べて落ち込むのなら、もっともっと遠くを見てみる。
そしたら自分とは異なる人がたくさん出てくるだろう。
そうした人と、自分の違いを知るということは、自分や他人の優劣をつけることではなく、
自分の能力に気付くキッカケになる。
自分の能力に気づくことができれば、怖いもの無しだ。
その力を信じて生きていけばいい。
自分だけの力、それがあなたの生まれてきた理由の一つだ。
それを使って誰かを助ける。
そういう人が増えれば、あなたの足りない能力を他の誰かが補ってくれる。
世界はそもそもそうやって補いあうように作られているのではないか。
人と人が繋がることで、完成するように、あえて人は何かしらかけているように生まれてくるのではないか。
そんな風に考えている。
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