ダチョウ 夢を語る

ニコの日常

公表の経緯

ブログで自分の夢を語るのは初めてだ。

今まではノートにひたすら夢を書き連ねていたが、公の場に公表しても良いと思い立ったのだ。

叶うか否かは別として、夢を描くのはタダだ。

人に語ってなんぼだ

言霊なんて言葉もある。

人に自分の夢を語ることで、程よいプレッシャーを感じられる。

夢を自分の外側に放出することで、自己完結の世界から、一歩現実世界に近づけることができると思う。

そんな訳で、今回は今までうちに秘めていた夢を語ろうと思う。

完全なる自己満足の記事だが、最後まで読んでいただけると大変ありがたい。

診断を受け、どう生きるか考えた

ご存じの通り、自分 キュリオーストリッチはADHDという特性を持って生まれて来た。

義務教育を受け始めてから周りとの齟齬が生じ、その違和感は年齢に比例して色濃く現れた

その違和感を確かめるべく、大学生当時意を決して病院を受診したところ注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断が下された。

さらに診断に至るレベルではないものの自閉スペクトラム(ASD)の傾向もあると告げられた。

診断当時については別の記事に譲る。

診断を受けて一番に考えたことは、今後の生き方だ。

つまり、この社会でどんな役割を果たせるのか

一般社会でどうしても齟齬が生まれ易いことは、診断を受ける前から感じて来たことだ。

それでも健常者と「同じように」振る舞う練習を重ね、周囲からの反応に傷付かぬようあえて「鈍感になる」ことで、なんとか生き残れるかもしれない。

けれども、それでは毎日生きることが苦しくてしょうがない気がする。

なぜ発達障害を持って生まれたというだけで、劣った存在として見られるのか。

なぜ脳のクセを持たない人がスタンダードになるのか。

やはり、この世に生まれたからには、「幸せになりたい」。

そう思った。

特性を活かして

自分の中で特に強い特性の一つが、頭の中の多動だ

それを的確に表すうまい表現が見当たらないが、強いて言えばまるでテレビのチャンネルが切り替わるイメージに近い。

頭の中でランダムに映像が流れて切り替わる

そのため目の前の作業に取り組んでいても、それと並行して頭の中の映画を鑑賞しているような状態なのだ。

それは授業中だろうと読書中だろうと構わずやってくるのだ。

そのため目の前の作業に集中することができない。

自分の意思とは関係なくやってくるのだから。

しかしこれをポジティブに考えてみよう。

頭の中でアイデアの洪水が発生しているといえるのではないか

頑張らなくても勝手に湧き上がるアイデアの数々。

頭の中で起きている映像の洪水を「ノイズ」と捉えれば障害、「アイデア」と捉えれば才能になるのではないか。

2つの夢

まず働き方に関してはフリーランスとして生きていくことを目指している。

それは組織の中で足並みを揃えていくことがどうしても困難で、それは自分も周囲も苦しめると考えたからだ。

次に何をやるか。

これに関しては、2つの選択がある。

1つ目はエシカルフード専門の料理研究家として活動し、現在の畜産のあり方を変えていくこと。

2つ目は当事者だからこそ語れるADHDの生活を題材にした漫画家として活躍し、ADHDへの理解を広めること、そして当事者が自信を持って生きることのできる社会に近づけることだ。

続く

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